<我が素晴らしき仲間たち>

 

現在のトンボ公園情報
2004年度から体制が変わりました。柴崎さんが代表を続けられています。
事務局が 今年から新井さんの自宅から鳥塚歯科医院内に移りました。電話048-581-9939
FAXは048-580-2788になりました。現在のトンボ公園は寄居町に3箇所 男衾トンボの里公園 折原トンボ公園 末野トンボモデル地区です。この冬から折原トンボ公園に皆さまが安全に訪れていただくため 木道、池の修理を行います。幹事さんだけではとても人数が足りません。是非大勢の方々のお力をお借りしたいと思います。
作業日は2005年1,2,3月各月の第3日曜日です。時間は9:00am〜15:00pmです。
場所はFAXでお送りしますので 事務局まで連絡ください。また寄居駅北口に幹事が車で
待っています。来られる方は、電話で連絡ください。


トンボ公園前副代表 中畝さんについて
この15年間の間 多くの人たちとの交流がありました。私にとってお亡くなりになった中畝さんには本当にお世話になりました。今 この人が元気でいらっしゃたら現在の活動もまた違った形になっているでしょう。作業を愛し、野山を愛し、仲間を愛し本当の意味で中心になって活躍されたと思います。 本当にお世話になりました。楽しい日々でした。二日酔い気味で公園の作業に仲間と出かけると、いつも笑顔で『いよ!』と迎えてくれ(本人もかなり酒臭かった)鎌の使い方が稚拙な我々を笑いながら、教えてくれたり、「いいよなあ俺も若かったら、とりちゃんみたいに、いろんな事をやりたいなあ」 と私のライブのチケットを3枚はいつも買っていただきました。(ジャンルが違うので 来られませんでしたが・・・)唄も相当なものでしたね。中畝さん!


  ある日「とりちゃんに 俺がぶったうどんを食わせるから家に来てよ」と誘われ、痛飲しましたね。飲みすぎてうどんの味を覚えていないのですが・・その時しっかり焼酎を持たされたのは、覚えています。


  また、作業中「温泉いい所ないですか」と尋ねると翌日愛する温泉のたくさんのパンフレット、 それも地図つきで持ってきていただいたり、「俺の畑に寄るかい」と誘われ、 余るほどの野菜をもたされたり中畝さんの畑のコンフリーを天ぷらにし、本当に上手かったです。もっともっとお酒を酌み交わし話をしたかったです。 退職後に建てる予定だった貴方の山の家で過ごしたかった・・・・・
今のトンボ公園の変貌に 驚いているでしょう。でも、なんとかやっていきますね。 お宅の仏壇に供えている貴方の写真を見るたびに涙が出ます。 トンボ公園で笑っている姿なのだから・・嗚呼、中畝さん、会いたいです。今しきりに思います。

:現トンボ公園代表の柴崎さんから、コメントをいただきました。 私の従兄弟でもあり、私をトンボ公園に紹介していただいた恩人です。 別名そばさきさんとも言われます。


  平成元年3月に発足した「寄居町のトンボ公園を作る会」も、早いもので満十一才 になった。思い起こせば新井さんに出会ったのは今から14、5年前になる。お互いまだ30代半ばの血気盛んな頃で仕事、町づくりにと全力投球の毎日であった。最初の新井さんとの共同作業としては、第14回目をむかえた「寄居夏期大学」の講師として「トンボ採りの楽しさを次代に」という講演をお願いしたときであった。それは、 それまでおぼろげながら寄居の町の財産はこの「あたりまえの自然」だと思っていた 私に、彼はトンボという生物の専門的視点から、さらにそれを深めてくれた。それは私にとって、日常的な都会へのコンプレックスを痛快に打ち砕いてくれた。 そんな彼との寄居の自然にたいする共感は「トンボ公園づくり」へと進むのに多くの 時間は要しなかった。

  以来、彼のトンボに対する熱狂的な情熱にひっぱられてここまでやってきた。もちろんここまで来るのにはそれこそ、たくさんの支援者がいたおかげであることは言う までもない。特に特筆したい人は私と一緒に副代表をやった布施さんと中畝さんだ。 彼らの無私で献身的な行動は多くの勇気と推進力を会にもたらしてくれた。しかしお二人とも今は故人になられた。あらためて心からのご冥福をお祈りしたい。

  ところで世はまさに環境(エコ)ブームである。発足当時はトンボ好きの暇人が休耕田の原っぱで子供と遊んでいるくらいにしか思われなかった当会もさまざまな局面で、市民主導型の環境保全団体として注目をされて来ている。当会もボランティアの会だから、という甘えも時には許されなくなってきていることも事実である。そんな時代の移り変わりの中で前回の会報でも触れられていたが、このたび新井さんが新たに「むさしの里山研究所」というNPO法人を立ち上げた。当然、代表には彼が就任したが、そんないきさつからトンボ公園の代表は私にとのことで相談があった。もとよりトンボのことについて、専門的な知識のない私ごときが、その器ではないのだが、他の幹事さんたちのご推薦もあり、お受けした次第である。お受けした以上は一生懸命やろうと思っているが、とにかく皆様方のご支援、ご協力を切にお願いするものである。
(トンボ公園会報2000/6月号より)

元トンボ公園代表、現、里山研究会代表の新井さんです。
 トンボの世界では、日本でも有名な方です。しかし、専門化にとどまらず、 自然環境を守る実践派です。そこがまた、魅力的な人です!
 県の職を辞め 本気になって活動をしています。  
トンボやホタルがが群れ飛び、そこで子供たちが泥んこになってトンボとりに興ずる。そんな公園作りを提唱して、14年が経ちました。ちっぽけだけど、みんなの努力でトンボ公園ができました。でも、今の子供たちは、トンボとりに熱中しません。大人だけが自己満足しているような気がします。ふっと気が付いたらトンボ公園の周りにあった田んぼは埋め立てられたり、草ぼうぼうの荒れ果てた土地になっていました。

 トンボ公園を作っただけではダメなんだ!その想いが次の行動へと突き動かしました。反面その想いが、これまでやって来た仲間とのギャップにもなってしまいました。仲間。そう、仲間が大切です。同じ想いでやっていても、その想いは少しずつ違います。その違いを認めつつ、自分の想いを貫く難しさを実感しています。そして、いま感じているのはトンボ公園の仲間の付き合いは、大人の付き合いなのだということです。だからみんなが別々のことを言っても、認めあい、相手の言動にも流されず、マイペースでそれぞれが自分の居場所を作っている。そして、楽しく、真面目にやっている。素晴らしい会だと思います。10数年かかってお互いにぶつかり合いながらもそんな素晴らしい会を作ってきたんだと思います。そしてそんな大人の付き合いができる、この町が素敵だと思います。だからこそ、この町の良さを時代の子供たちに伝えたいと切に想うのです。
この町に居続ける限り、そんな仲間と行動したいと願っています

                   むさしの里山研究会代表  新井裕

遠藤さんです。私の中学高校時代の先輩です
トンボ公園で再会し嬉しい限りです。。
本当にライフワークとして取り組み素晴らしい奥様と活躍されています。

トンボ公園に関わって
ぽかぽかと暖かい春の日、末野トンボ公園で、総会があり、その総会の最後に「幹事をやらせて下さい」と唐突に発言したのが私とトンボ公園との深い関係の始まりでした。一瞬の沈黙の後、大きな拍手で迎えいれて貰い ました。1995年4月です。仕事以外に、自分が地元で生き生きできる活動をしたいと強く思い始めた頃でした。

  丁度、男衾トンボ公園を作り始める年でした。月一回日曜日だけの参加でしたが、色々な夢を話しながらの作業や幹事会は、仕事に疲れていてもトンボ公園に行くとリフレッシュできました。トンボ公園の仲間の関係が人の心を暖かくしているのだと思います。自分がトンボ公園に関わりながら見ている夢。地球環境を、世界の自然を、日本の自然をせめて今のまま持続していくこと。 そして人の心を暖かくしておくこと。

  そのために自分でできること。毎日少しずつ少なくなっている田んぼのある風景を維持し、里山の心地よい環境の中に子供達が遊べ、大人ものんびりできる場所・状況を確保すること。地元で調達した安心できる食材で生活すること。家庭、地元に生活の基盤をしっかりと固め、食、教育等の実践を広く発信し、共感しあえる仲間を増やしていきたい。 暖かい幸せは足元を固めることから実現する。礎がしっかりしていれば広がりは無限であろう。                               

by 遠藤仲男 






<トンボ公園関係>