2007年 7月〜12月
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12月31日(月)
突然の津田さんの逝去があり 年末の小旅行は取り止めになった。私は最近は会うことも少なかったが 多くの思い出があり 共に楽しんだ仲間である。冥福を祈ります。


今年は いろいろな事があった。特に法人化の立ち上げそしてオリオンでの毎月の演奏
このことは今まで培った自分への鞭入れだった。仕事の業界は どうしようもないほど崖
ぷちに立たされている。そして4年後のレセプトのオンライン化で 全ての膿が出ると私は思う。しかしこのことは20年前から考えてみれば分かっていたことでもある。
いずれ歯学部は医学部に取り入れられ、その中の一つの科として動き出した方が良いとも思う。そして現実としてオンリーワンの歯科医院しか生きられないだろう。


オリオンでの演奏は30年以上の蓄積したものがリハを繰り返しライブを行ったことで 自分の向上に他ならない。OTIS RUSH T-BONE WALKER JimyRogersの曲を唄えたこと演奏できたことは 頑張った成果に他ならない。来年はペースを落としながらもっと深くBluesに嵌りたい。


トンボ公園の活動は来年は20周年を向かえ 大きく展開される。幹事が心一つにして乗り切っていきたい。無許可での埋め立てを行政も知らなかったと言ったが 埋め立てが始まった頃連絡したのに。質問状を提出し行政側もようやく動き出したようである。本当にいろいろあった1年だった。


12月25日(火)
怒涛のような3日間のライブが終了した。最後のセラビーでの演奏は 最後は多くの人が立ち上がり踊り狂ってくれた。演奏者としては 何より。
3日間いっちゃんのことを思い出したりしたが 前に進むしかない。「オリオン」の第4土曜日BluesDayを盛り上げ来年も頑張る所存。ギターの練習も頑張って一人でも演奏できる状態にしたいことが 私の今の心境だ。
さあ今日から仕事納めまでの週。本業に精を出して頑張っていきたい。



12月13日(木)
今日は 本当に寒いだった。オリオンのHPも立ち上げてくれた人がいて 本当に助かった。
Blogにはコメントが書き込まれ身内状態に嫌気がさし また8日のGWANさんとのライブに
演奏者として頼まれたのを 私として親友のバンドに行けない狭間で悩んだのに 心ない人からの中傷。ドミナントもBlogがあるのだから そちらで存分に楽しんで欲しい。その代わり
Bluesの世界を立ち上げた。これからもよろしく!!


冷え切った歯科界マスコミにも面白おかしく取り上げられてきた。患者さんが知ることには良いと思うがマスコミは事実を書かない。この国の方針が医療関係に重要に関わっている。薬害の肝炎など対策は持っての他だ。どんなに苦しんでいるのか。たまたま手術などで輸血され罹ってしまったことなど 厚生省も責任の取り方が違う。真にわが国の国民のことを 考えて保障し
対策の行動を早急に行うべきだ。すぐやらなければならない。この国は滅びるのか。。


歯科界のことに戻るが 本物だけが生き残るということだろう。これは全ての事業に対し当てはまると思う。仲間よ建て直し頑張って欲しい。俺も頑張るしかない!!



12月4日(火)
先週の土曜日秩父の鮎釣りの会の忘年会があり 河豚を堪能した。今年一番の釣果を上げた人が鍋奉行で目の前で美味しい河豚を食べさせてくれた。何とも酒がすすむ料理だ。
秩父も翌日からの夜祭に備え準備をしていたがこの日の夜は静かだった。10年以上は経つだろう。夜祭は毎年出かけ朝方帰り仕事をしたものだ。もうその体力はない。50を越えると剥ぎ取っていくものが 多い。その分会わなくなってしまう人も多い。これは仕方がない。


先月からヘラブナを再開し楽しんでいる。何と弟子が一人出来た。その子は道具一切持ってなくまして買う気もないみたいだから困ってしまう。ゆえ運転手として弟子としている。この間弟子は掛かったヘラを引き上げる時 後ろにデングリ返った。大笑いだったが・・。繊細な中りをとるため浮きが動いた時 少し前に出すのだが、弟子は上に上げてしまう。その癖を直させるのには 手が覚えなければならない。


トンボ公園の自然館の大掃除 幹事会 忘年会と今年の予定は終了した。男衾は益々不動産の買占めが拍車を懸けている。必死だなあ。お金を早く儲けたいのだろうな。暮に地主さんに
もう一度会うことになるだろう。地主さんも本当に心痛めている。何メートルも埋め立て言語に絶する。





11月27日(火)
先週は いろいろな予定があったが 恙無く終えほっとしている。風邪気味なのか鼻が詰まるが 熱も出なかった。寒い日が交差しているが 汗を流すのが一番いいようだ。


11月19日(月)
今週は23日に 娘の結婚式。多難な時代だが頑張って二人で仕事を愛し頑張って欲しい。
開業歯科医の5分の1は 年収300万と言うデーターが出ている。日頃の治療に対し真摯に
努力しないといけない。日本歯科医師会の新聞では 経営努力の限界を超えたと言っている。


昨日のトンボ公園の作業は5人だったゆえ本当に大変だった。ゴルフ場で使用済みのゴムマットを40枚近く運んだ。1枚に4人で精一杯の重さだった。幹事さんもいろいろな都合があるのだろう。が、合間をみて手伝って貰いたかった。私はこれまでいろんな会の事務局として
関わってきた。今は トンボ公園1つにしてつくづく良かったと思う。人に踊らされることなく
足をしっかり付け素晴らしい仲間と歩いて行く。先日博多から帰ってきた仮屋さんを交えての
酒は本当に楽しく旨いものだった。至極の時間とはこういうものだ。



11月11日(日)
昨日はトンボ公園の幹事会だった。寒い中暖を取れることもなく 議論は熱く語り合った。
そして大勢の方々からの寄付を頂き 本当にありがとうございます。この気持ちは振込用紙に それぞれの方々の思いも書かれていて 頑張らなければと幹事一同思いました。心強く幹事が一致団結し進んで行きたいと思います。


11月6日(火)
大分寒くなった。昨夜shibaから24日都合が付かなくなったと連絡を貰った。忸怩たる思いの彼だった。いたしかたがない。また来年やりましょう。彼は素晴らしいボーカリストでありギタリストだ。私とは幼少の頃からの親友だ。
代わりにホトケさんの相棒秀ちゃんにお願いすることになった。


ホトケさんのHPのDialyで我バンドもお褒めの言葉を頂き バンドを1年間続けてきた成果が
あったとつくづく思う。60曲を越える曲目をSHOWとして生の音をお客さんに 捧げる努力が
あるからこそバンドは生きるし成長をするとホトケさんにも言われた。実際各自の嗜好性の違いも見え隠れするが LOVEBONEで集まる時は Bluesのみだ。迷わない。50歳を越えもっと深くこの音楽を続けて行きたい。





10月30日(火)
ホトケさんとのミニツアーが終了した。寄居では台風の突然の襲撃に会い ホトケさんと待ち合わせた寄居駅からオリオンまで車に乗るのも大変な騒ぎでした。お客さんは来るだろうかと少し心配しましたが 何と満員のお客さんで我々も声援を受け心強かった。感謝です。
ホトケさん上村秀ちゃんの演奏は 素晴らしく我々のバンドの松村君は始めてだったらしく 鳥肌がたったとメールをよこしました。いつもながら死ぬまで演奏を続けていく覚悟を見たとのことだろうな。Bluesは生のLIVEの体験が一番です。その日は打ち上げで金太郎に荒川団のみんな浩ちゃんたちを交え そしてなんと店員さんがハローウインとのことで変装を・・・・
和気藹々の中午前をさす頃 お開きとなりホトケさん私は秀ちゃんの車で 本庄市のホテルへ。翌日は友達の池田君の病院での食事を頂き(カレーうどん旨かった)それからS君のアコパラ(蔵)に全員で押しかけ 彼の収集したマーティンの数やら年代物に驚嘆し 特にホトケさんはJohnLennonが弾いたモデルと同じギタ-に名残惜しく弾いていましたが 取り上げられケースに仕舞われていました。(笑い)
以前コレクターの人が集り酒を飲みながら騒いだ後 一本無くなったそうです。その手口は巧妙で 空のケースを持ち込み何気なく仕舞って立ち去ったそうです。ゆえに信頼のする人のみの見学になったそうです。持ってって行った奴 返してやりなよ!!

そんな時間をゆるりと過し高崎のDE・FOREへ。俺も唄うのでリハを行い近くの美味しい割烹へ。時間がなく鳥鍋が来たところ時間になり これは私が名残惜しく残念でした。池田君ごちです。本番はホリケンバンド ここでハープのジョニーに出会いまたホリケンさんの相棒浅見ちゃんの流れるギター一音一音がはっきりしていて最高でした。ホリケンさんの唄も素晴らしく
SAM COOKの曲には堪能させられました。そしてホトケさんと秀ちゃん。今日は女の人が多く
それも上州の美人ぞろい。ホトケさんも熱がこもり最後の「WAHT's T Say」のグルーブはかっこよかったです。。ホトケさんは最近ビジュアル系にも磨きをかけ「トリちゃんも痩せて ビジュアルに」と言われました。そうかあ・・・。


10月23日(火)
いよいよ今週末はホトケさんとのツアーだ。27日はオリオン28日は高崎だ。
どうぞTHIS IS BLUES大勢の方いらっしゃってください。
オリオンでは2500円(1drink付き)時間はopen19:00pm start19:20pmです。


10月16日(火)

先週の土曜日久しぶりにホンキートンクに行き この二人のLIVEを観た。凄かった。FunkでありJAZZでもあり口を開けっ放しだった。頭に衝撃を受けた。三上寛氏の言葉を待った。日本語を唄う歌い手では 久しぶりに始めて聴く曲の言葉を待った。初めてかもしれない。「ハハ」と言う曲は 始めてなのに胸に突き刺さった。古沢さんは60歳を越え実に良いし三上寛氏は 
詩人であった。本当に凄い。


10月12日(金)
秋深し 想いに耽る毎日だ。木曜日を完全休日といっても訪問治療などでわさわさしているが・・バンドのメンバーも しゅうろうが正社員の仕事を始めたので しばらくはバンド活動を休止
することになった。また彼から再開できる日を待っててくださいと言われ皆も待つことになった。彼ともっともっと一緒にPlayしたいなあ。


一級河川荒川団(荒川団の正式名称)が来年早々にも吉祥寺「のろ」でGWANさんとやることになり 心からおめでとうと言いたい。このバンドのメンバー全員明るくエネルギッシュで いい人ばかりだ。話をしていても通じることが多い。明るいバンドに道は開かれるなあ。この荒川団と来年JIROKICHIで演奏をしたいと私は考えている。もちろんLOVEBONEで。


8日は風邪のような症状で ごろごろとTVのCSを観ていたが「鬼平」の1日という物凄い特集を組んでいた。その中で今年行われた歌舞伎座での「鬼平」は言葉が重要視されわかりやすく
楽しんで この歌舞伎を観た。オサエ(鬼平の女房)の役を女形の役者が演じていたが 女以上の色気さが出ていて 感心してしまった。役者の名前は少しの知識しかないが玉三郎は是非観て見たい。池波正太郎氏の「銀座日記」によく出てきた中村富十郎氏の佐馬の役も良かった。吉衛門しかり富十郎しかり声がとにかく通り見事だ。


10月10日(水)
ホトケさんのHPに先日のUZUの顛末が書かれ笑った。本当にそうだったもの。ホトケさんのHPどうぞ覗いてみてください。


今日は体育の日と思ったら何のことはない月曜日8日が体育の日だった。新聞では小学校の
児童の体力が落ちていると毎年書かれているが 今回は中学生の1割の子が「うつ」に罹っているという記事が新聞のTopにでていた。この子達に薬の処方は 本当に慎重にしなければならないし何か大人が他の方法で医師のみに頼らず心のケアーをしていくことが最も大切だと思う。私のことを振り返ると 中学1年の時はとんでもないほど大きな小学校の連中に苛め抜かれた。分校のような小学生を送った日々ゆえ彼らのませた言動やら行動は とても馴染めずおろおろしているうちに Oという男に惨憺たる虐めに会った。今あったら殺したい気分である。ま、いいか。


10月4日(木)
先々週に 右手に怪我をしたため静かな木曜日だった。火曜日友達のA医師が何でもっと早く診せなかったのと言われたが ガラスで切った小指は深く感染だけは防ぐためいろいろやったのだが・・しかしA医師の手当てはすばやく削り取ってしまった小指の肉ももり上がってきた。自分で見てもんんんとうなる怪我だったようだ。


先月29日のUZUの演奏は 面白かった。色んなことがあり我々も福生という土地に初めて
足を踏み入れホトケさんとも再会し楽しい思いも多い。ホトケさんは?
福生という横田基地の隣にあり外人も来るのかと思ったけど 一人も居なかった。ママのある意味で堂々とした性格は面白かったし また来て演奏してくださいと言われたことは 光栄だ。
外道と言うグループもこのライブハウスで育ったというし 憧れの冨士夫ちゃんもたまにここで
リハをしていたと聞くと32年続いた重みも感じた。いっちゃんが都合が合わないので 今回は
Gはシゲキにお願いしベースマン吉田君も松村君の代わりにLOVEBONEに加わって頂き 無事演奏が出来たことは感謝に耐えない。メンバーも忙しい中 福生まで行くのに仕事の調整をしてくれこれまた感謝。演奏前小腹がすいたので 立ち寄ったお店・・不思議だった。


それと男衾トンボの里公園縮小ながら 幹事会で頑張ってやっていこうと皆で決めました。
頑張って売らない地主さんの気持ちも考えて、頑張ってやっていきます。カンパも集うことになり 牟礼の象徴的であるこのトンボ公園 見晴らしも素晴らしいです。



9月25日(火)
前回トンボ公園祭りの事を書いた週の木曜日 男衾のトンボ公園の埋め立てが急ピッチで進められた。その人が隣の所有している土地と同じ高さに埋め立てホンダ関係の会社を誘致するとのこと。地主さんに対する買取も水面下にて 着々と行われていた。
新天地に向け会として 皆で集り相談することになった。すでに欠席の通知を出した人がいるがほぼ全員集る。今の土地での10数年続いた男衾のトンボ公園お別れの時が 来た。
商工会が作ったWELCOMEホンダの幟が町中に立っている。


9月16日(月)
            トンボ公園祭り
昨日は早朝より準備をしトンボ公園祭りを行った。天候の不順さがあり雨が降るのか広場の状態はどうなるのかと大変やきもきしたが 無事晴れ行うことが出来た。しかし猛暑だった。私の顔も真っ赤になってしまった。鮎釣りや海で泳いでもここまで暑い日はなかったのに。ただ子供達は元気に広場を駆け巡り竹とんぼ飛ばし競争 ザリガニ釣りと楽しんでいたのに思わず幹事さん一同笑顔がこぼれた。ステージでは「とりむーん」の演奏を皮切りにゆったりとしたタイムスケジュールで「一級河川荒川団」「浅見安二郎さんととみいせいじさん」「GWANさん」と演奏が恙無く進行でき何よりだった。私の通っているグループホーム「あかつき苑」の人たちも来て頂き声援を頂いたり まちねっとの人達も御協力して頂き何よりの日だった。
打ち上げは寄居街中の「オリオン」で行い各バンドともリラックスした演奏をして頂きその中で
「GWANさん」の心染み入る演奏に酔いしれた。


なんと言ってもトンボ公園の仲間は黙々とした働きをしてくれ 本当にこの会の趣旨を大切に
動いている。3年ぶりのお祭り。原点に帰り子供達が大勢集ってくれたことは嬉しい限りだった。また怪我もなく熱中症にも罹らず冷たいお水で喉を潤し細やかな準備をしてくれた幹事さんには 本当に感謝したい。




9月10日(月)
9月も半ばと言うのに この蒸し暑さには参ってしまう。ムチ打ちをした身みは堪える。
誰も彼もこの夏は 去年の延長と言うことを知っているはずだ。ゆえ来年も6月から9月まで
熱帯のような4ヶ月だと思う。50歳を越え節々が反応するなあ。
明日から 本庄のプ−ルに行く予定。多くの先輩が気遣い誘ってくれる。皆野の先輩と共に始めたこの夏の鮎釣りは私の取って大きく踏み出した一っ歩だった。秋はヘラブナに行く。


この間の台風で増水は物凄いが 今日は川全体に靄が掛かっていた。これは素面の温度と大気の温度の差が生んだものだろう。神秘的であった。今度の日曜日は トンボ公園祭り 何とか出きるように祈りたい。



9月4日(火)
最近になって気温が落ち着き秋の気配が 感じられる日々になりました。あの猛暑は・・・・・。
とにかく過し易いのがなによりです。
日曜日荒川団の仲間達総勢30名で嵐山渓谷でバーベキューをした。唄あり打楽器の演奏あり家族ともども楽しい一日でした。仲間はいいですね。その主催ジユリは素晴らしい女の子で
皆をこんなに楽しい一日にしたのも 彼女の性格の良さが溢れていました。太陽のような子ですね。


9月はライブがトンボ公園祭り UZU(福生) オリオンとあります。是非お出で下さい。


8月31日
猛暑も収まり涼しい日々です。今日は新しいバンド結成のため「オリオン」に練習に行きました。楽しい時間でした。「カマフセBlues バンド」の名称で第4土曜日演奏します。LOVEBONEは偶数月に演奏しますので このバンドは奇数月です。ベースの吉田君 新潟生まれ東秩父に住んでいます。とにかく性格がいいです。マスターとともに 4ビートの曲を演奏します。いろいろありましたが LOVEBONEのメンバーも頑張っています。今後ともどうぞ宜しくお願いします。今年は来月の(10月)ホトケさんとのライブを控え頑張ります。UZUではその吉田君と茂樹を迎え演奏します。福生です。新しいバンド「カマフセBB」は日本語の歌を中心に演奏します。


昨日は 野中の沼でオランダ釣りをしました。最後の落ち鮎と思ったのだけれど 雨が降りそうなのでそちらに行き爆釣しました。(ブルギルばかり)釣れる事はやっぱり楽しいですね。
9月は 落ち鮎を経験し ヘラブナ釣りに行きます。ゴルフの仲間ごめんね。釣りの風景は何ともしがたいほど心休まるのです。和銅鉱泉 武甲山の麓 そして正喜橋から東上線の下前までの風景は如何ともしがたい物です。

8月22日(水)
この日は子供のころとても楽しい一日だった。父は何でこんなに働いたのか未だ理解しがたいが 毎月22日一日しか仕事を休まなかった。創業者とはいえ命を縮めてでもこんなに働かなければならなかったと今 思う。ゆえ夏休みこの日しか父とは出かけることがなかった。日光に行ったことだけは覚えている。それと父は鮎釣りに行くことが多かったので母と姉と3人で駅前の山崎屋さんに行き ポークライスを食べソフトクリームを舐めたことを鮮明に覚えている。遠い昔のことだ。その分 祖母が孫を連れ河原に連れて行ってくれたり夏休みはいつも遊んでくれた。


毎月のライブのメンバーの調整が本当に大変だ。仕事が優先なのが原則だから それぞれの時間が合わなくなることがある。そんな折オリオンのマスターにサポートメンバーに自らなってくれたり他の人を紹介してくれたりしていただいている。しかしLOVEBONEのメンバー本当に頑張ってくれている。今年一杯しっかり第4土曜日のスケジュールに組まれているので やるだけだ。
来年は メンバーの交代もあるかもしれないが続けていきたい。LIVEは最高だ。


8月20日(月)
昨日は 前の晩高校大学の先輩から秩父で今年最後の納竿をするので 来ないかとお誘いがあり いそいそと先輩の家に行き秩父の森屋という河原で鮎釣りをした。予備の9メートルの竿の重さは余り感じなかったけど 仕掛けの長さが合わなかったりしてもたもたしているうちに
あっという間に3時間経ってしまった。釣果はゼロ。鮎友の会のメンバーは凄腕ばかりだが
急な温度の上昇で苦戦していたみたい。しかし28センチ29センチの鮎の素晴らしさには目を見張った。会のメンバーの中に 料理人の人がいて 最後は河原で猪の肉 牛肉と肉ばかりだったが バーベキューを堪能した。武甲山は霞んでいたが 素晴らしい風景だった。来年は会に混ぜて頂く事になった。その前に原島親分のところに先輩と仕掛け作りを教わることになった。9月には秩父での鮎釣りは 終了する。


8月17日(金)
何と言う猛暑か。部屋の畳も冷房をしているのに 熱くなっている。高気圧が東にあり(舌状)
それに長野県の山を伝わりフェーン現象が重なって起きている。40度を越えているのだから 適わない。荒川に行き鮎を釣るも とてもウエダーを着る気分にならず 海水パンツにベルトをし滑らない靴を履き胸まで浸かりながら 釣りをした。
アメリカから16年ぶりに帰国した衛と 忌憚なく語り合った。これから日本での生活に色々なことがあるだろう。ただ彼が日本にいることは私にとって幸せなことだ。11月にオリオンで衛とセッションする。ホトケさんから書中メールいただいた。15日のjirokichi130名者の人が訪れたと言う。ライブが元気の基と書かれていた。こちらの異常な気温を心配してくれていた。


亡くなる人やら病に倒れた人も 身近に沢山いる。やり続けていくしか今の私にはないが いつ何が起きるか分からないし 気分もまだすぐれない朝を迎えることも多い。ただ余分なことは
剥ぎ取って生きて行きたい。


8月7日(火)
ようやく先週の忙しさを乗り越えた。気が付けば夏が訪れ蝉の声が 賑やかだ。ようやく埼玉医大の薬が合うようになり 眠れるようになった。起きた時のあの不快さは消え去ったようだ。
多くの友人達の励ましの言葉に 本当にありがたいと思う。
トンボ公園もスタッフが本当に少ない。今月は 幹事会と当番があるが 真夏の作業は無理だ。9月のトンボ公園祭りに向け いろいろな事が 水面下でしている。中々一人ではしんどい。
幹事の構成を本気になって考え直さないと 5年はもたないのではないだろうか。個人事仕事のことそちらを優先するのは仕方がないが とてつもない不安さがこみ上げてくる。

7月26日(木)
今日は 午前中 グループホームあかつき苑の訪問診療をした。義歯への対応が主だがあるおばあちゃんにひどく嫌われてしまった。認知症であるゆえ 痛いという感覚を与えてしまうと素直に反応する。・・反省・・あかつきでの治療は屋外で行われる。何をしても自分の医院での治療と条件が甚だしく異なり苦労する。しかし何人かの入居者の人たちの義歯を作ったが私に会うと満面な笑顔で迎えてくれる。これこそ私の生きがいだ。息子も懸命に助手として働いている。このあかつき苑は もうすぐ山の上に引っ越す。環境を求めとの事だという。
トンボ公園の仲間の遠藤さんも今年暮には NPO法人の介護施設をOPENする。そこも 私も口の中のことには深く関わる。


今日は午後荒川で初めて鮎釣りをした。オトリ鮎を買ってからこの釣りは始まるのだけど オトリ鮎さんに「今日が初めてです」と言ったら多くの釣り師に始めてのことゆえ様々なことを  教授していただいた。暖かい雰囲気のもと幼いころ泳いだ雀宮の対岸で鮎を泳がせたのだ。この釣りは如何にオトリ鮎がそのポイントに泳ぎだすか・・実に難しい。消防団の時お世話になったUさんにも最後にいろいろ話を頂いた。地元ならではのことである。しかし仕掛けは本当に複雑で出来合いのものを買ってしまうなあ。


7月25日(水)
昨日は 束の間の青空だった。気分も良い。暑さも心地よい。昨日、多くの仲間に今週のライブのダイレクトメールを送った。遠くから来てくれる人もいる。また夕方トンボ公園の自然館で
出会った人から 今月も是非来たいとの電話を頂き嬉しかった。オリオンで初めてから6回目だ。この間に演奏した曲も50曲を越える。私としては 常に引き出しは100曲以上と思っている。
メンバーとともに楽しんでBluesを演奏して行きたい。メンバーの中にも初めてこんなに多くのBluesの曲を演奏し戸惑っている人もいる。しかし湧き水のごとく曲は沢山ありそれぞれの曲に味わい深いものがある。嵌りこむと良く分かる。単純な12小節ではない。マディーを始めその人だけでも100曲以上は良い曲がある。


7月24日(火)
朝起きる。それも2,3時間で。口の中が苦い味がしそして手足が冷えている。その上何とも嫌な気分が重く圧し掛かる。頭が日頃出きることも もたもたとしだす。患者さんに 私のエリアに1歩踏み込まれる。 そんな日がここ2週間くらい続いている。抗鬱剤を倍に増やし飲む。
この天気も 身体 心に影響している。じめじめとした天気。鶯が毎朝鳴き 蝉の声などまったく聴こえない。夏の太陽が本当に本当に待ち遠しい。



7月18日(水)
月曜日仲が良い友達と久しぶりに集り大いに語り合った。様々な仕事が今逆境の風に晒されている。そして家族の病気やら子供のことなどこの年になると背負うことが実に多い。つかの間の時間 大いに笑いあいそしてまた自らの仕事、世界に戻る。お互いが寄りかかることなく頑張っているんだと思いあうことしかないのかもしれない。私も自らの先のことを過剰に心配をしても一人で最後は切り開いていく覚悟。太陽にいつも見え隠れしながら照らされていると思うこころ。幕引きは 生きられるだけ生き自らの手で行いたい。
また、ひょんなことで孫達と暮らすことになったが 孫のくったくのない笑顔に救われることも多い。これも禍い転じて福となすということか。本当に一歩先は闇でもあり何が起こるか分からないが 踏まれても踏まれても生き抜く雑草のごとく生きるしかないのだろう。受け入れなければならない現実に目を背けてはならなくあるがままに受け入れて。


鮎の道具がようやく揃った。しかし先日の台風で川は大増水。本格的な鮎釣りは8月になってということになりそうだ。
葱の植え付けを台風の過ぎ去った後 畑に入り四つんばいになりながらやった。深谷の中瀬地区のお店で苗を見つけることが出来たからだ。この地域は当たり一面農家が葱栽培を行っているところで 東京への出荷もこの地域が一番多い。



7月16日(月)
台風が過ぎ去ったと思ったら 突然と新潟、長野の地震のニュースが飛び込んできた。まったくもって何と言うことか。天災は何処でも起こるが 数年前に起こった新潟で・・。


高田渡さんが恋しくてならない。漣君とのライブも聴き直している。気配りの人渡さん。映画(タカダワタル的」の中に柄本氏が「欲の持ち方が違う。我々には見えないものに対し我々には分からないもの その欲の持ち方が彼にはあったと」


7月10日(火)
8時に床に就いたため 午前1時に起きてしまった。何か頭の中がもやもやする。空梅雨の関東。むしむしするのは変わらないが。鮎釣りのウエダーが1月も経つのに 中々出来上がらない。とにかく川に入っての釣りゆえ冷えないためにもウエダーがないとまずいと思っている。
去年は海水パンツで荒川に何度も通ったが 今年は恒例の坐骨神経痛が長引いているため 用心している。年を感じる。


従兄弟の1周忌と伯母の3周忌の案内を頂いた。いつでも忘れることもなく お二人は私の心の中に存在している。また偶然と言うか大阪に住む従姉が顔を見せてくれた。私はこの人が
大好きだ。いつも暖かい言葉を掛けて頂く。相手のことを深く思うことの出来る人だといつも
思う。


7月8日(日)
坐骨神経痛があるため今日は 静かに家で静養した。川の夢を見ながらのんびりと。ただ畑の草取りは 腰を庇いながらのんびりとやった。身体の何処かがオカシイと慎重になる。無理は気持ちも含め だめだ。50歳を越え無理はだめだ。ただ気持ちに乗らないこと 押し付けられることになると これは持っての他と思う。仕事ではないゆえ。


7月7日(土)
今週は いろいろなことがあった。めげることもあった。50歳になっても やり過ごせるすべもなく落ち込むことも多い。坐骨神経津寝ていても痛い。その痛さに起きてしまう。そんなときは
横向きになりエビのように身体を折り眠る。すると少しは和らぐ。仕事柄右に身体を折り曲げての姿勢が多いのもこの病気になる所以だろう。

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